小さな夢、大きな夢。

2019年もあとわずか。

フリーランスになって早3年が経ちました。

そこで、これまでの歩みの整理と、これからについての事をここに書き留めたいと思います。





吹奏楽に出会ったのは中学1年生。

それまでは阪神が大好きな野球少年でしたが、自分のセンスの無さに挫折。

そんな時に、地元にあった一般バンドに入団したのがきっかけで、トロンボーンと出会いました。

元々、音楽が好きだったので程なくハマり、気がつけば中学2年生の秋には吹奏楽部に入部していました。

学年が上がり、初めてのコンクールの舞台。
自由曲は「たなばた」
結果は銅賞。

この悔しさが、吹奏楽コンクールに目覚める原点となりました。

吹奏楽に熱中できる学校に進学したい一心で、公立後期の専願の受験。無事合格。
春には晴れて「トミスイ」の一員に。

高校2年生の夏のコンクールでは、初めての府大会へ。
そして秋、アンサンブルコンテストに向けて、金管アンサンブルのリーダーに志願。部内の選考会を十数年ぶりに金管8重奏で突破。
「いつか“オオモノ”なれるよ」と当時の恩師に言われたのがきっかけで、「吹奏楽の指導者になりたい」との夢が芽生えてきました。
アンコンの結果は銀賞。(曲は「文明開化の鐘」)

高校2年生の冬、とあるコンサートで夢を確信。
春に後の師匠と出会い、この方に学びたいと決意。

高校3年生の初夏、特待生試験に合格。

冬には初めてのソロコンテスト。
無伴奏で1分30秒の独奏曲「侍」で出場。前半の部でベスト10に入賞。

そして、翌年の春にESA音楽学院に入学し、本格的に音楽の道へと進み始めました。

入学してすぐに、消防音楽隊の演奏の仕事をさせて頂きながら、何度も失敗や挫折を繰り返した後、公務員音楽隊志望からオーケストラ奏者への道へ進みたいと進路変更。

指導者からプレイヤーへの道に向けて進んでいましたが、やはり現実はそう甘くなく、卒業してすぐに消防の臨時職員に就職。1年間、事務の仕事と音楽隊としての演奏の仕事に従事しました。
またこの間に中学の恩師から声をかけて頂き、母校の吹奏楽部外部指導者に。指導者としての第一歩を踏み出しました。

消防を退職後は、半年ほど家業を手伝いながら、オーディションを度々受けるも落選。
とりあえず社会人を経験しようと、たまたま前職のサービス業の求人にひっかかり就職。

そこから約2年半、平日は社会人、土日は吹奏楽指導の仕事を主にしながら生活しました。

2016年秋、退職を決意。
指導校の為に初めての作品、「神秘の滝〜4つの情景〜」(金管8重奏)を作曲。アンサンブルコンテストで初演してくださいました。

2017年1月、フリーランスとして活動を開始。

1年目、生計が立てられないほど、全く仕事が無いところからのスタートでしたが、
春から毎月のように新しい学校との出会いがあり、初めての審査員、外部指揮者(ここから左手で指揮を振るように)、合奏指導などを経験し、スタートとしては順調な滑り出し。

2年目、ヤマハインストラクター、JBA会員に。
ソロコンテストで生徒が関西大会へ。
この年も指導校が毎月のように増えましたが、自分のキャパオーバーと、指導者としてのスキルの低さを身をもって実感。
猛省し、毎日のように図書館に通って勉強。
指導者としてのスキルアップの為に、トロンボーンとも改めて向き合い、練習の日々。

好きを仕事にする難しさを感じました。

3年目、年初から色んな新しい仕事、出会いと別れ。
春、運命を変える一本の電話。
5月11日、小さな夢が叶い、箕面市部活動指導員、外部指揮者に。
初めての部活の運営。生徒指導。音楽指導。指揮。
コンサート、コンクール。
今まで知らなかった難しさ、悔しさ、楽しさ、喜びをたくさん知れました。
夏、金管5重奏で初めてのコンサート。計12曲。
また、指導に携わった学校が(現在は携わっていないところもありますが…)小学校から大学まで、累計30校を超えました。

そして、現在へ…
吹奏楽と出会って、約14年が経ちました。
色々ありましたし、もちろん今も色々ありますが、毎日充実した、楽しい日々を過ごしています。





もしここまでお読み頂いた方で、自分の将来に対しての不安や悩みがある方に、少しだけ僕の想いをお伝えしたい。





この歳になって思うのは、「才能やお金が無くても、夢さえ見失わなければ、いつかそれが実を結ぶ時がくる」という事です。

残念ながら裕福とは縁の無い人生でしたので、音大受験に必要な準備は全く出来ず、ピアノも「猫踏んじゃった」すら弾けないですし、今もずっと奨学金を返してますし、自分の楽器を持ったのも20歳を過ぎてからでした。(特待生試験も借りた楽器で受けました)

また、特別な才能や高いセンスが僕にあった訳でもありません。
少しあげるとしたら、ゲームが得意だったぐらいです(笑)

そして今も、将来に不安が無い訳ではありません。今後のやりたい事、望んでいる事にはまだまだ乗り越えなければならない事、勝負していかなければならない事が、たくさんあります。自分のスキルアップも必要不可欠です。

ただ、自身がこだわった事があります。
それは「自分の夢を周りに語り続ける事」です。

ここからはあくまで僕の持論です。

人というのは小さな点に過ぎませんが、たくさんの点と繋がって面になっていきます。
同じ思いを共有できる人とは、お互いに刺激されあい、集まり、そして拡がって、大きくなっていきます。
出会う人の中には、全く別の世界の考え方があったり、自分とは違う価値観をお持ちの方もいると思います。
そして、それはそれで、その人にとっての面があると思います。
また、その人ともどこかの点で繋がっているかもしれない…

これは、出会った人全てと仲良くしようという訳ではありません。
食べる物に好き嫌いがあるように、人と人との付き合いにも相性があると思うので、誰とでも仲良くするのは難しい事だと思います。

ですが、自分のやりたい事を語り続けていれば、行動し続けていけば、思いもよらぬ方面から、きっかけが生まれる事もあります。

だからこそ、情熱を注いで一生懸命にやる。他人に笑われても、けなされても、続ける。
そうしていれば、味方や仲間になってくれる人が必ず出てきます。
僕もたくさん救われてきました。
そこにお互いの「思いやり」や「感謝しあえる仲」が生まれるんだろうと思います。

これはきっとどんな職種においても、はたまた学生さんでも同じだと思います。

「夢」を持つ。やりたい事を見つける。それに向かって情熱を注いで一生懸命にやる。

当たり前のようで難しいですが、是非一歩目を踏み出して頂ければ幸いです。





最後に、僕の今後に向けての決意。

僕が最終的に目指すのは「日本一の吹奏楽指導者」です。

「吹奏楽コンクールの全国大会に指揮者として出場する」
「大きなホールで満席のコンサートをする」

これも夢の一部ですが、あくまで目標であり、一つの目安です。

それ以上に、
「自分の好きな事・ものを、たくさんの人に知ってもらいたい」
つまり「日本の吹奏楽文化の発展」です。

めっちゃデカ口叩くやんけ!って思われるかもしれません😅

今、ありがたい事に、様々な場所で指導に携わらせて頂いています。
中には、未開拓の地…吹奏楽の文化が浅い地域もあります。

そんな場所にも、吹奏楽の楽しさを伝えたい。

TV越しにみた、憧れである屋比久先生や、「アルメニアン・ダンスを吹奏楽の第9にしたいんや!」と語る丸谷先生、吹奏楽・愛をオーラで感じる藤重先生、吹奏楽の醍醐味を常に発信し続ける梅田先生のように、だれかの心に響くような指導者になりたい。

だから、これからも吹奏楽に没頭し続けたいと思います。

ちなみに明日は、僕の大好きな生徒達が、小さなコンサートをします。
お客様は、彼らにとってはおじいちゃんやおばあちゃんの世代。

若き「音楽家」達はどんな演奏をしてくれるかな😊

お付き合い頂き、ありがとうございました。

吹奏楽に、生きる。

「日本一の吹奏楽指導者に・・・!」 諦めきれなかった夢を追いかけ、24歳の元旦からフリーランスに。 吹奏楽に夢と人生を賭ける者です。

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