中学時代を振り返る。②

中学時代を振り返る。① の続きです。




さて、新しい代となり、僕の役割は「先生を呼びに行く係」となった。

平日の練習は、基本パート練習。

吹奏楽部によくある、古くから伝わる練習を受け継いでやっていくあれだ。

もちろんそれも大切だが、新しい練習法を求めていた僕は、「3度跳躍」や「3度進行」、「20拍ロングトーン」など、とにかく思いつく練習法を提案しては、色んなパートに波及させていた。

部活終了時には号令ラッパが鳴り響く。トランペットパートがファンファーレを吹いたら練習終了、僕が先生を職員室に呼びに行き、ミーティングをして解散という流れだ。

職員室は1F、音楽室は4Fなので、その間先生と色んな事を話した。
音楽の話から何気ない日常会話まで様々だ。

秋〜冬にかけては特にこれといった行事もないので、ひたすら基礎練習ばかりをしていたと思うが、土曜日は先生の合奏がたま〜にあるので、ちょっとした行進曲か何かを練習していたと思う。(記憶が定かではありません😅)


12月も下旬にさしかかった頃、とあるいつものミーティングで、先生が話をした。

「来年、吹奏楽コンクールに出場しようと思う」


一部の部員は喜びの声をあげていたが、当時の僕はなんの事か、ちんぷんかんぷんだった。

コンクール?なにそれ?

そして、年が明けた2007年。

冬休み明けの部活再開と同時に、当時の課題曲「マーチブルースカイ」と、「たなばた(酒井格作曲)」の楽譜が配られた。「不思議なパフ〜怪獣だ〜♪」のメロディに似たブルースカイは、とても親しみやすく、楽しい楽曲だった。

また、コンクールと並行して、4月の入学式、部活紹介に向けても、様々な楽譜が配られた。

「ディズニー・メドレー」や「スターウォーズのテーマ」、「ミッション・イン・ポッシブル」では初めてのソロも体験した。

音楽室での合奏、渡り廊下での合奏、今思えばその一回一回が良い思い出だ。

パート紹介では、パートリーダーだった女子が、ピアノ譜から音を取り出してトロンボーンアンサンブルにし、周囲を驚かせていたのを覚えている。

そして、春。
3年生になった自分達の代は16人。
2年生は25人前後。
そして1年生は31人も入部し、トロンボーンは9人と、かなり大きなパートとなった。

この頃から、練習にもより熱が入っていった。

以前からあったかは覚えていないが、朝練が始まった。当時は7時過ぎから練習出来た。

土曜日は基本9時〜15時までだったので、
その後の時間や休みの日曜日には、近くにあった大和川の河川敷で、同期や後輩達と練習した。
外で吹くと自分の音が聞こえないので、特に音量面ではいい訓練となり、ここでかなり音量レベルが上がったと思う。

ミーティングも多くあった。
パート内では色々な価値観の違い、練習に対しての意欲など、様々な議論がなされた。僕の不注意で謝る事もあったし、僕が怒る事もあった。

学年ミーティングでも、意見の共有が多くあった。正直、部長がしっかりしていたので、3年生同士は仲が良かったと思っている。その分、学年を跨いでの問題がやはり多くあった。まあ、こういう時、吹部男子は基本的に輪には入れない訳ではあるが←

けんかしたり仲直りしたり、泣いたり笑ったりしながら、月日は流れていった…

余談ではあるが、部内恋愛もあった。
深くはつっこまないが、そういった経験も後々考えたら、自分の知らないいいところを知れるきっかけだったし、必死になれる自分も知れたと思う。
悩んだら思いきって、部の中の人か顧問に相談するのも有りだと、個人的には思う。
恥ずかしいので詳細は伏せます。

長くなってきたので、続きはまた次回。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました😊

吹奏楽に、生きる。

「日本一の吹奏楽指導者に・・・!」 諦めきれなかった夢を追いかけ、24歳の元旦からフリーランスに。 吹奏楽に夢と人生を賭ける者です。

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