ネガティブなポジティブシンカー
先日、ネットサーフィンしていると、素晴らしい記事に出会った。まずはご覧頂きたい。
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断言しよう。ネガティブな人はポジティブな人より幸せになれる。|さい|図解クリエイター|note(ノート)
https://note.com/aragakisai/n/n7c71236ef9e0
こちらの記事を読んで、分かった事がある。
「僕はネガティブだ。超ネガティブなポジティブシンカーだ。」と。
人生28年目にしての衝撃だった。
僕は、明るくポジティブに見られる事が多い。
実際、これまで自分でもポジティブ人間だと思っていた。
気分が良い時、人に会う時、仕事の時間、好きな事をしている(ラーメンを食べる等)時、僕はポジティブな感情になる。
だが、朝起きてからの数十分、1人でいる時間、大きなイベントの前など、毎日のようにネガティブな感情が顔を出す。
よく出てくるなぁとは思っていたが、ポジティブの中にネガティブが潜んでいると考えていた。
そしてネガティブは、幼少期の思い出したくないような過去が作ったんだと思っていた。
でも、先程の記事を読み、180度見え方が変わった。
自分は元から超ネガティブ人間だったんだと。
その決め手になったものの1つに、僕は人のネガティブな感情に敏感だ。(もちろん、常に感じ取れる訳ではないが)
辛い、苦しい、悲しい、怒り、迷っている…そんな感情になっている人は、何とかしてあげたいと頭より口や身体が先に動く。
それは、自分が経験してきた不幸のような目に合わしたくないと思うから。そして、自分と似たような境遇にいる人達の助け舟になる事が、自分の使命ではないかとさえ思っている。
ただ、自分のネガティブな感情を自分でコントロールする事はあまり得意ではなかった。"なんでこんな事思わなあかんのやろう"、"自分にはこれはきっと無理や"と、諦めや気持ちが折れてしまって消えるか、または誰かのアドバイスや慰めによって、これまでもずっと立ち直ってきた。
でも、元からネガティブだったのなら、そのような感情になるのは当然だ。なぜなら思考のクセがネガティブなんだから。それもかなりのネガティブなんだと思う。ポジティブな人間だと自分で思っていたんだから、脳みそもさぞ驚いた事だろう。
実際に音楽でも、短調の作品の方が自分は好きだ。絶望から希望へ…ブラームスの「交響曲第1番」やラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」、ジェイムズ・バーンズの「交響曲第3番」など、暗→明に向かう作品に魅力を感じる。
また、考えるより先に身体が動くクセがある。それは、もしかしたら、"考え出すとネガティブになる"僕の頭が、ネガティブになる前に行動に動かそうと、スイッチを勝手に切り替えているのかもしれない。実に興味深い内容だ。
そして、こちらの記事にもある通り、僕はポジティブシンキングのスキルを磨いてきた。
先天的なネガティブを覆うかのように、後付けのポジティブシンキングを作ってきたのだ。
あまり思い出したくないが、僕は小学3年生の冬に転校した。
新しい学校では、自分を出せる友人はほぼ皆無だった。
僕にとっての生き心地は、ゲームの世界と本(漫画)だった。
特にポケモンやパワプロへの愛情は凄かった。
どんなパーティを編成しよう、どんなチームを作ろう…そんな事を考える時間が幸せだった。
そして、色んな本も読んだ。
偉人の言葉をたくさん調べたり、気になった本を図書館で借りたり…中でも「星新一のショートショートセレクション」「エルマーのぼうけん」「ルドルフとイッパイアッテナ」「モモ」「楽隊のうさぎ」など、冒険モノや物語系はよく読んだ。
いやな思いはくさるほどしてきたので、その度にどう考えていったらいいんやろう、どう前向きになればいいんだろうと考えるクセがついた。
小学校の間はほとんど作り笑いだった。
中学生になって、素敵な先生や仲間に出会い、ほんとにこれまでの苦しさを解き放つように笑っていたと思う。きっとこの時には、ポジティブシンキングの土台は出来上がっていたんだろう。
今だから思うが、僕は、ネガティブな人をポジティブに仕立てたいのでは無く、見方を変えれば、見える景色が変わる事を訴えたいんだと思う。
地上では激しく雨が降り、雷が鳴っていても、雲の上は青空だし、宇宙から見れば地球はいつでも美しい。
そして、雨が降れば自然は豊かになり、寒い冬も耐え抜けば、必ず暖かい春を迎える。
それはやはり自分が超ネガティブであり、ポジティブシンカーであるからだ。
そして、僕はネガティブでとても不器用なので、凹む時は凹むし、嬉しい時は思いっきり喜ぶ。そんな自分を許す理由も見つかった。(許せるかどうかは別として)やっぱり人は、1人では生きていけないですね。
最後にこの素晴らしい記事を書いてくださったさいさんに、最大の敬意を表したい。
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