自分の世界と、繋がれた世界と。
今年の夏の終わり頃、自身の職に関するインタビューを受ける機会があった。
『文化系部活動指導員の実態』
ネット越しの彼は、このテーマを基に論文を作りたいと、僕に声をかけてくれたのだ。
あらかじめ準備された質問事項に、ZOOMを用いて答える…
今の時代に即した、リアルで会った事の無い彼とのオンライン上の時間は、とても新鮮で有意義なものであった。
それと同時に、自身の職についても深く考えられる機会となった。
部活動指導員。
忘れもしない、2019年5月11日。
この日から部活動指導員としての新たな生活が始まった。
肩書き上は『外部指揮者』。
実際のところは、顧問としての活動の方が多いかと思う。
音楽の指導はもちろんの事、生活面や部活運営の面でも携わっていく。
出来るだけひとりひとりの顔を見て話し、たわいもない会話から、生活上で悩んでいる子には、自分のわかる範囲でのアドバイスもする。
2020年4月1日からは、新たな学校でも部活動指導員として配置される事となった。
今の僕の仕事の7割強は、この2つの学校での指導にある。
非常に充実した日々を送っている。
小学〜中学。高校時代の夢。
学校の先生というのは、僕にとって憧れの職業だった。
小学3〜4、6年生の頃、学校でいじめにあった。
朝起きて、支度して、学校までの道のりが重い。
毎日が生き地獄のような生活。
世界から隔離された気分だった。
僕はこの世に必要の無い人間?って。
生きることがしんどい。
自殺を考えた事は何度もあった。
包丁を首元に、2時間座り込んだ事もあった。
なんとか小学校を卒業した後、中学に入学。
そこで自分を変えてくれた人達に出会った。
中学1年生の時のクラスの担任。
「お前は強い子や」と笑って話してくれた。
中学2年生の時のクラスの担任。
入部した吹奏楽部の恩師。
僕を必要だと話してくれた。
中学3年生の時のクラスの担任。
「太陽みたいな子」だと話してくれた。
理科の先生。
人としての強さを教えてくれた。
学校の先生は、僕の事を認めてくれた。
だから、職場体験では小学校を選択した。
生を実感出来なかった場所へ、自分の足で戻る事を決めた。
高校に入ると、真剣に進路を考える。
音楽の道を考えていたが、今は亡き恩師(この人の事もいつか深く掘り下げよう)に止められ、いつしか学校の先生になりたいと思うようになった。
ただ、教員免許を取る為に大学に行く余裕は、経済的に無かった。
諦めかけていた頃に、母校である専門学校の存在を知る。
人生を賭けて挑んだ特待生試験にも見事合格し、一度は諦めた音楽の道を再度志すこととなった。
そこからのストーリーは、いつかのblogにも掲載したかと思うので割愛する。
チーム1%。
この言葉は前職で見つけたものだが、とても好きで今も大切にしている。
チームの1員、それがたった1%だったとしても、欠けてしまうと99%にしかならない。1人1人が大切な「チーム1%」…
先述のインタビューで「部活動指導員として働く上で大切にしている価値観、考え方はあるか?」と問われた際、僕は以下のように回答した。
部活動指導員もチームの一員だと考えます。専門的な指導だけであれば、外部コーチのような立場でも十分だと感じますし、何より、先生の負担を減らす事が、部活動指導員の一番の使命だと感じます。生徒や先生と一緒に、どういう部活動を運営していくか、生徒一人一人の声に耳を傾け、一人一人の成長の為にどのような指導が出来るのかを、日々考えています。円滑な部活動運営と、専門的な指導ができてこそ、部活動指導員が携わるメリットがあるように考えます。
憧れの職についたのと同時に、学校の仕事というのは多岐に渡り、膨大な量をこなす大変なものだと、身をもって実感した。
だからこそ、自分の出来る範囲内であれば、何でもさせてもらおうと決めている。
そして、一人一人の声に耳を傾けること。
チーム1%の言葉通り、個性も価値も無く、誰からも必要とされない人間というのは、この世には絶対存在しない。
あの中学時代の先生達のように、薄暗く冷たかった自分の世界を少しずつ温め、光を照らすがごとく、手を差し伸べられるような人間になれるように、これからも励んでいくつもりだ。
自分の世界、繋がれた世界
新型コロナウイルス。
2020年はこの話題でごった返しだ。
うつ病患者の増加が物語るように、コロナは身体以上に心を蝕んでゆく。
世界からの孤立…自分が居る空間だけ時が止まっているかのようなあの感覚。
孤独からくる絶望は、精神的なダメージが大きい。
自粛期間は過去の自分と重なって、悪夢を見たり、未来が見えなかったりと、随分と弱っていたと思う。
そんな時、今までとは違うカタチで世界と繋がった。
Twitter、LINE、Facebook、YouTube。
ある時は、音楽で繋がった。
自身が作曲したメロディに詩という生命を吹き込んでくれた。
ある時は、お酒で繋がった。(あまり飲めないが)
オンライン飲み会と評し、画面越しの気心知れた吹奏楽仲間たちと、何時間も語り合った。
ある時は、自分から繋げた。
YouTubeを使って、吹奏楽指導の先輩方とともに、動画の配信をした。
Twitter等から、吹奏楽の観点で自分を発信した。
自分の好きなことで、世界と繋がることが出来たのだった。
また、これからの事も真剣に考えるようになり、吹奏楽指導とは別の世界線で、新たな夢を持つこととなった。(といっても、将来的には繋がるのだが)
人生が大きく変わった(アップデートされた)瞬間であった。
ムダのない、人生。
大学に通っていない僕は、もちろん教員免許を所持していない。
だが、現に学校の教職員として、部活動に携わっている。
小学生の頃のいじめの経験。
それは、様々な相手のネガティブを敏感に捉えることが出来るのと同時に、同じような悩みを抱えている子と共感し、問題解決に向けて一緒に考える事が出来る。
吹奏楽の経験については、もう語る必要も無い。
一見、それらは散らばってみえるものであったとしても、その点は線で繋がり、面となって、自分という世界を構築していく。
その面は、外の世界とも線を通じてリンクしていく。
そして、自分の経験というスキルを使い、世界に貢献していく事となる。
「嬉しい」や「楽しい」というのは、氷山の一角に過ぎない。
人生「ちょっと楽あればめっちゃ苦あり」だ。
だが、その見えない「苦しい」や「悲しい」は、上手くコントロールすれば、他人の為に使う事も出来る。
その時、ネガティブに捉えていたものは、ポジティブへと変換されていく。
他人の為に頑張ろうとした時、人は、驚くべきスピードで成長し、幸せを感じられるのだ。
2020年、スタート地点
自分にとってこの年は、「最低で最高な年」となった。
あまりにも色んな事があったので内容は割愛するが、とにかく新しい人生が始まったと感じている。
『日本一の吹奏楽指導者。』
これもまた、新しい目線で今の自分に備わっている。
『新たな夢。』
こちらはまだ準備段階なので、いつかまた、皆さんにお披露目できればと考えている。
そして、自分で拡げた自分の世界が、繋がれた外の世界とリンクして、また新たな発見や興味に繋がる事を楽しみにしている。
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